ステーキのあさくまがかつて出していたお値打ちでボリュームのある名物メニューといえば?

Q.ステーキのあさくま ボリュームはあるのに価格はお値打ち「『?』はお金がないだろうけどスタミナをつけてほしいから」名物「『?』ステーキ」なんだった??

※現在は名前が変わっていますが、現存しています。

正解は…

「学生ステーキ」でした!

現在は「学生ハンバーグ」という名前で提供されています。

解説

出題のねらい

昭和の名古屋が生んだ2大ステーキチェーンといえば「ステーキのあさくま」と「ブロンコビリー」です。そして「あさくま」はメディア戦略に長けていた企業で、かつては創業者である当時の社長の声をラジオで、姿をテレビでよく見かけたものでした。

1982年(昭和57年)にはテレビ朝日の「西部警察PART-II」にロケ地として藤ヶ丘店を提供。西部警察は爆破がウリ。藤ヶ丘店は実際に爆破され、撮影のあとしばらくはボロボロになっている店舗を見ることができました。つくば科学万博に出店したり、パートの主婦を社長に起用したりと話題に事欠きませんでした。

学生ハンバーグ とは

高度成長期には、子どものハレの日に連れていくお店として定着。名古屋の団塊ジュニア世代にとって「あさくま」は特別な日に行く高いお店として刷り込まれ、自分で稼いだお金であさくまで食事をすることは、大人への階段と一歩と認識することも多かったといいます。

そして、団塊ジュニアたちが学生になり、アルバイトをして初めて手にした自分で稼いだお金。それを握りしめてあさくまへ。でもそんなにお金がいっぱいあるわけではありません。そこで注文したのが「学生ステーキ」でした。ステーキと言っても成形肉です。

とはいえ、味わいは間違いなくあさくまのステーキ。あさくまと言ったら外せない「コーンスープ」とともに味わえばそれは大人への階段を一歩上った感覚を得られたものでした。成形肉ですから今の基準ではもうステーキとは呼べませんが、「学生ハンバーグ」という名で食べることができます。

みんなの思い出から

学生ステーキという名前ではありましたが、もちろん学生しか注文できないということはなく、気軽にあさくまへのあこがれを満たすことができましたね。さらに本格的なサーロインステーキを注文できるようになったら立派な社会人。我々はあさくまとともに成長してきたのです。

あさくまは2005年(平成17年)の愛・地球博からドイツパビリオンの一部を譲り受け、かつて爆破された藤ヶ丘店を「あさくまドイツ館」などとしていましたが、時代はデフレ。店舗は減少の一途をたどります。しかしテンポスバスターズの手に渡り復活。撤退した都市にも再び出店するなどし、2019年(令和元年)には、かつて創業者の夢だった株式の上場を果たしています。

そんなこともありましたね

ありましたね、花火が刺さった状態で運ばれてくるオレンジシャーベット。とても印象的でした。なんといっても「あさくま」は子どもの頃の憧れのお店。「学生ステーキ」はあの頃の思い出の味。名古屋っ子にとって特別。これからもそんなお店であり続けてほしいですね。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・あさくまは憧れ
・学生じゃないけど食べてた
・2枚になると大学生ステーキ
・花火が刺さってるオレンジシャーベット
・サーロインステーキとコーンポタージュが絶品

楽しい不正解

・爆破ステーキ
・大爆破ステーキ
・銃撃ステーキ
・店舗ツブステーキ
・大門軍団ステーキ
・俺あさくまステーキ
・お前ステーキ
・近藤ステーキ
・若者ステーキ
・ブロンコステーキ
・さわやかステーキ
・やっぱりステーキ
・芸人ステーキ
・あさくまステーキ
・500円ステーキ
・店員ステーキ
・年金ステーキ
・お子様ステーキ
・社長ステーキ
・ヒレ肉とホタテのあさくまステーキ
・アイドルヲタクステーキ
・シビレステーキ
・学生ステージ
・野生ステーキ

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わかるやつだ

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あのころナゴヤ 管理人

このサイトは「あのころ」、主に平成・たまに昭和の名古屋圏、名古屋を中心とした愛知・三重・岐阜の東海3県の話題をお届けするサイトです。この企画をきっかけにテレビ番組が誕生しシリーズで放送されました。番組の立ち上げからスタッフとして参加、出題や出演者キャスティング、演出などにもかかわりました。

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