当時のレポート
名古屋テレビが、長年放送してきた「コケコッコー」の後番組として、2002(H14)年春にスタートしたのが「特選朝いち どですか!」です。月曜から金曜の朝6時45分から8時まで放送されています。この番組の注目すべき点は、名古屋密着と言いながらも、内容は全国ニュースから芸能・スポーツ・新聞記事とローカル情報にとどまっていないところです。
では何が「名古屋密着」なのか?メインパーソナリティは、名古屋弁を駆使する地元密着タレントの宮地佑紀生さんと、矢野きよ実さん。さすがにニュース自体は名古屋テレビのアナウンサーが読みますが、2人は完全に名古屋弁。「どえらいことが、おこっとるねぇ~」「そんなことやっとるもんだで、あかんのだわ」などと、朝からいかにも名古屋です。
そして何よりも密着なのが、こんな朝の番組にもかかわらず、視聴者参加スタイルを取っているのです。毎週金曜の名物コーナー「どですかじゃんけん」がそれです。毎週金曜、視聴者に旅行がプレゼントされるのですが、その方式がすごいのです。
まず旅行希望者は、あらかじめ旅行の準備をして、朝7時頃までに、指定された会場に向かいます。大抵は名古屋空港なんですけどね。そしてそこでは、タイトル通り「じゃんけん大会」が開かれ、なんと、最後まで勝ち残った人は、そのまま飛行機に乗って、旅行へ出発!なのです。
なんと素晴らしい企画なのでしょうか。しかも毎週開催されているのです。もちろん行き先は毎週違うので、日帰りの準備でいい場合もあれば、スーツケース持参で集まらなければならない場合もあります。とはいえ、なかなか会社員としては(※当時)そこに参加するのは難しいのですが……。
9月のある日、23日の秋分の日に、ナゴヤドーム中日戦のチケットを50組200名にプレゼントするという企画が告知されたのです。もらえるチケットは、9月24・25日分。朝5時台に起きて、東別院の名古屋テレビに友人たちと行って見ることにしました。
はたしてどれ程の人数が名古屋テレビに集まっているのか、野球のチケットは手に入るのか?
集合時刻よりも約1時間早く、名古屋テレビ前へ到着しました。これだけ早く着けば…。と思っていたらびっくり!すでに100人以上と思われる人々が、名古屋テレビ前の「どですか広場」に集まっているではないですか。
スタッフの説明では、どうやら朝7時45分からカメラが入り、抽選を開始するとのこと。抽選の方法は、箱の中から1つボールを引き、ピンクなら当選、黄色ならはずれ。はずれても、また列に並ぶことができ、チケットがなくなるまで抽選は続くというものでした。なんと単純でわかりやすいんでしょう。
すると、前にならんでいたご婦人3人組が話し掛けてきました。「あんた、こないだも来とれせんかった?」と聞かれたので、初めてきたことを話すと、「なにー、初めてかね。」話していると、どうやらこのご婦人たち、「どですかじゃんけん」の常連さんのようで、放送中の「どですか」をヘッドフォンで聴いていて、「ちょっと、今度の金曜のじゃんけんは、台湾らしいよ。」「あんた、パスポート持ってこなかんね。」「どうしょー。」と大盛りあがりです。
結局、この日集まった人数はなんと300人強、一番乗りの方は朝5時に家を出たという強者でした。わたしは外れてしまいましたが、無事友人がゲット。後日。ナゴヤドームにドラゴンズ戦を見に行くことができました。
あとがき(2020.7)
当時の名古屋テレビはまだ社屋に「11 Nagoya TV」というマークを掲げていた旧社屋で、その隣接地、かつて「読売新聞中部本社建設予定地」という看板が立っていた場所に、ブルーシートに覆われた足場が組まれ、名古屋テレビの新社屋、現在の社屋を建設中でした。
社屋の前に噴水がありますね。これは「希望の泉」。どこかで見たことありませんか?そう、栄にこれの大きいのがありますよね。栄の噴水は、名古屋テレビが寄贈したものでして、ポーズ違いのおそろいのデザインだったのです。
ロゴはまだ「ナゴヤテレビ」とカタカナ。メ~テレという愛称が導入されるのは、この翌年、2003(H15)年の春のことです。
かつて、CBCラジオに「ラジオ朝市」という番組がありまして、とにかくリスナーにプレゼントを出すというものでした。今思えばスポンサーからのテスターだったのでしょうか。
なので、このプレゼント満載の朝ワイド「どですか!」に「特選朝いち」というサブタイトルがついていたのでしょうね。「あさいち」とつけておけば、プレゼント満載番組だと、名古屋の人ならわかるよね?的な。
なおその後、「特選朝いち」というサブタイトルは2006(H18)年3月に外され、2011(H23)年春には「ドデスカ」とカタカナに改題され、メインキャスターがアナウンサーに交代しました。
今思うと、「どですか!」はパーソナリティも集客も、完全にラジオの手法を採っていたんですね。名古屋テレビは開局時にラジオ局増設計画がありましたが、それをテレビの中で具現化した番組だったといえるのかもしれません。
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