2012年に高木守道氏が2度目となるドラゴンズの監督に就任 球団の スローガンは?

Q.2012年(平成24年)高木守道氏が2度目となるドラゴンズの監督に就任 その際に採用された球団のスローガンはなんだった??

正解は…

「Join us~ファンと共に~」でした!

解説

出題のねらい

中日ドラゴンズは1997年(平成9年)からチームスローガンを設けていますが、そのなかで特に注目を集め、監督と結び付けられて記憶に残っているのが「Join us ファンと共に」ではないでしょうか。これは2012年(平成24年)に高木守道監督が就任した際のものです。

最初のチームスローガンは、2度目の星野仙一監督が2年目を迎えた1997年(平成9年)のことでした。「HARD PLAY HARD」。それから監督が変わるタイミングでスローガンも変わるようになります。2002年(平成14年)に山田久志監督が就任すると「WIN THE GAME! WIN THE DREAM!」に。

join us~ファンと共に~とは

そして2004年(平成16年)のことです。長期で監督を務め、ドラゴンズの黄金期を築く落合博満監督が就任すると、「ROAD TO VICTORY」に。8年間にわたって使用されました。この間、3位が1回、2位が3回、1位が4回、そのうち日本一が1回とすべてAクラスという言い方では収まらないほどの好成績でした。

その落合監督は優勝を果たした2011年(平成23年)のシーズンをもって退任。その理由は、観客動員数の低迷と、「勝つことが最大のファンサービス」という言葉があったように、一部からはそれ以外のファンサービスにあまり力を入れていないように見受けられたといったことでした。

みんなの思い出から

2012年(平成24年)、高木守道さんが監督に就任すると、観客動員数の増加とファンサービスの充実を目指すという意思表明ともとれるスローガン「Join us ファンと共に」となるのです。もともと暫定的な監督就任であったといわれていますが、結果として観客動員数は減少してしまいます。

そしていつしか、高木監督自身が「ジョイナス」と呼ばれるようになり、インターネット上ではネタとして使われるほどになったのでした。それでも1年目は2位だったのですが。2014年(平成26年)に落合さんがGMに就任し、谷繁元信さんが選手兼任監督に就任するのです。

そんなこともありましたね

なお、その後のスローガンは以下のとおりです。

  • 2015年(平成27年)強竜再燃 stand hard
  • 2016年(平成28年)竜魂燃勝
  • 2017年(平成29年)原点回帰 ~ゼロからのスタート~
  • 2018年(平成30年)原点回帰 Dragons愛!
  • 2019年(平成31年・令和元年)昇竜復活!WITH BLUE
  • 2020年(令和2年)昇竜復活
  • 2021年(令和3年)昇竜復活 その先へ

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・のちに高木監督自身を指す言葉になった(複数)
・絶好調の落合監督からの「新しい風を入れたい」
・前監督がファンサービスをしなかったことへの対抗
・キャンプ初日に監督のサイン会
・かっこ良さを感じた
・厳しいなかでもファンを大事にしようとされた印象
・1年目は2位だった
・チームは低迷期へ
・このあと暗黒時代に突入するとは
・今だによく意味が解らない
・いろいろと思うことはある
・キャップがナゾのロゴマーク 昭和30年代風
・横浜の駅ビルみたい
・「普通です。」
・1997-2001 HARD PLAY HARD
・2002-2003 WIN THE GAME! WIN THE DREAM!
・2004-2011 ROAD TO VICTORY
・2012-2013 Join us ファンと共に
・2014 Start it Again 強竜再燃
・2015 強竜再燃 stand hard
・2016 竜魂燃勝
・2017 原点回帰 ~ゼロからのスタート~
・2018 原点回帰 Dragons愛!
・2019 昇竜復活 WITH BLUE
・2020 昇竜復活

楽しい不正解

・ジョイフル(複数)
・join us不安と共に
・ジョイフル本田
・相鉄ジョイナス
・ジョイマン(複数)
・カモンジョイナス
・信頼
・ネバーネバーネバーサレンダー
・女医那須~不安と共に~
・名鉄ジョイナス〜どけよフォンと共に〜
・米ナス
・メークミラクル!
・テルミナ
・ジョイジョイウエーブ
・燕改革
・ハート プレイ ハート
・「押忍、軽くキちゃってます」
・響け!ユーフォニアムも思い出す
・愛してるぜ〜優勝だぜ〜ドラゴンズ〜by忌野清志郎
・麻婆茄子
・魁

思い出アルバム

関連情報

あのころナゴヤ 管理人

このサイトは「あのころ」、主に平成・たまに昭和の名古屋圏、名古屋を中心とした愛知・三重・岐阜の東海3県の話題をお届けするサイトです。この企画をきっかけにテレビ番組が誕生しシリーズで放送されました。番組の立ち上げからスタッフとして参加、出題や出演者キャスティング、演出などにもかかわりました。

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