当時の様子
名古屋の都心・栄町と陶器の街・瀬戸を結ぶ名鉄瀬戸線が、瀬戸市にとって悲願であった万博開催期間中の、2005(H17)年4月2日に開通100年を迎えます。
当初、愛知万博はすべて瀬戸市で開催され、跡地は住宅地・産業集積地として開発する予定だったのですが、万博のメイン会場は既存の公園を再開発する形で長久手市に移り、瀬戸「も」会場の一部となる形となりました。
瀬戸市の中心部にある名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅。万博に合わせて、ホテル機能をもつ高層ビルなどが建てられる計画もありましたが、随分と縮小されました。とはいえ、万博にあわせて道路は整備され、駅舎も駅ビルも新しくなり、市民会館の跡地にには「瀬戸蔵」という観光拠点施設も設けられました。
尾張瀬戸駅は、大正時代以来の駅舎を使い続けていましたが、2001(H13)年に新駅舎が建てられ移転、その駅舎は瀬戸蔵のミュージアムに一部移設、展示されています。
いまだに愛称は「せとでん」。これは瀬戸電気鉄道時代の呼び名です。
瀬戸電気鉄道が名鉄に吸収されて66年(当時)。「せとでん」という表記は残されていないのにもかかわらずですから、面白いものです。
あとがき(2021.4)
名鉄瀬戸線開業100年から、さらに16年の月日が流れました。それでも今も「せとでん」と呼ばれていますし、逆に、公式にも「せとでん」という名を冠したイベントが開催されたり、その愛称を歴史のひとつとして使うようになってきましたね。
瀬戸線は、他の名鉄線と接続されていないことから、単独運行となっていることで、逆に、他の路線で何か事故や運休があったりしても影響を受けず、そのことで「無敵の最強列車」とネタにされることもありますが……。
ネタにしているのは、名古屋でもごく一部の局所的な事象ですね。
「先に発車する列車が終点まですべて先に到着します」
沿線の子どもたちは、電車は追い抜いたりしないもの、先に来たものに乗れば先に着く……と思って大きくなるので、外界の電車の「追い抜きシステム」を知って、最初はカルチャーショックを受けるなんてことはないか。
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