女子選手として世界初 トリプルアクセルに成功したフィギュアスケート選手といえば?

Q.1989年(平成元年) 女子選手として世界で初めてトリプルアクセルに成功した 名古屋出身のフィギュアスケート選手といえば??

正解は…

「伊藤みどり さん」でした!

解説

出題のねらい

本来であればこの時期、国際的なスポーツ大会が開催されていましたよね…。夏季と冬季では別物ですが、愛知・名古屋といえばやはりフィギュアスケート王国であることを思い出しますよね。その礎ともいえるのが、伊藤みどりさんではないでしょうか。

練習では早くから成功していましたが、トリプルアクセルが世界で初めて公認された女子選手であり、それが1989年のことでした。同じ年には「もっとも高得点をとったフィギュアスケーター」としてギネスブックにも掲載されているのですね。

伊藤みどりさん とは

小学生の頃から山田満知子コーチのもとに寝泊まりしながら練習を重ね、東海女子高校(現:東海学園高校)、東海学園女子短大へと進み、学校には「伊藤みどりメモリアルホール」が作られています。1992年のアルベールビルオリンピックで銀メダル。後半の挽回はパワフルでした。

プロへと転向したあと、再び1998年の長野オリンピックを目指され、成績としても復活するのですが、体調不良などから出場は果たせませんでした。ただ、聖火台に聖火を灯す姿が印象的でした。天才少女からメダリストへ。そして今の愛知・名古屋のフィギュア王国へと繋がっていますね。

みんなの思い出から

印象として、いただいたのは「パワフル」「力強い」「ジャンプが高い」「ロケットのよう」という印象。当時の躍動感が伝わってきますね。まさに女王の貫禄あるフィギュアスケート選手であったということですね。世界初の感動を見ている側もわかちあえたという印象です。

なかでも、東海女子高校の制服姿の印象というものが。当時はDCブランドの制服だったといいますから、まさにバブル景気の時代。小学館の学習雑誌に掲載され、また、幼少期からメディア出演を果たし、伊藤みどりさんに憧れた子どもたちも多かったのでしょうね。

そんなこともありましたね

やはり、時代的に「あのころ」がごっちゃになってしまうことと、また、この地方が本当にたくさんのフィギュアスケート選手を輩出していることもあって、他の選手の名前の解答もたくさんいただきました。それだけ、伊藤みどりさんの後に続いた人がいっぱいいると、いうことでもありますよね。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・1992年アルベールオリンピック銀メダル
・トリプルアクセルは感動ものだった
・NHKの中継「3回転、半、、決まったあ!!」という実況を記憶してる
・とにかくジャンプが高かった
・繊細で華麗なカタリナ・ビット選手を豪腕でなぎ倒した
・力こそパワー
・ロケットのように力強いジャンプ
・名古屋スポーツセンター
・山田満知子コーチ
・東海女子高校(現・東海学園高校)の制服が良く似合っていた
・母校には写真やトロフィーが飾られたコーナーが
・「わたしが女王です」
・小学館の学習雑誌に載っていた
・愛知はフィギュアスケート大国その礎
・日本フィギュアスケート界のパイオニア
・CBCテレビに幼少期のインタビュー映像があったような
・出身は豊明市では
・実際に成功していたのはもっと前
・妹が高校時代に隣のクラスだった
・新パテックスA
・地元の講演会に来てとっても感じのいい方だった

楽しい不正解

・伊東ゆかりさん
・辛島美登里さん
・辛子がみどり
・加藤みどりさん(本名は伊藤みどり)
・アマチンさん
・意図海鳥
・名古屋をどり
・マニューラ
・卑弥呼
・伊藤紫
・デカグリーン マジグリーン
・伊東に行くならハトヤ電話はよい風呂
・伊東四郎さん
・伊東ライフさん
・いとうまい子さん
・Ito Green
・緑区在住の伊藤さん
・若井小づえ・みどりさん
・海老名みどりさん(複数)
・渡部絵美さん
・安藤美姫さん
・恩田美栄さん
・浅田真央さん

思い出アルバム

関連情報

あのころナゴヤ 管理人

このサイトは「あのころ」、主に平成・たまに昭和の名古屋圏、名古屋を中心とした愛知・三重・岐阜の東海3県の話題をお届けするサイトです。この企画をきっかけにテレビ番組が誕生しシリーズで放送されました。番組の立ち上げからスタッフとして参加、出題や出演者キャスティング、演出などにもかかわりました。

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