現在の愛知環状鉄道のうち 新豊田から岡崎は「JR『?』線」だった?

Q.現在の愛知環状鉄道のうち新豊田から岡崎の区間はかつて国鉄・JR東海の路線として運行されていました「JR『?』線」だった??

※写真は愛環転換後です

正解は…

「JR岡多線」でした!

解説

出題のねらい

中央線と東海道線を結ぶ、多治見から瀬戸、豊田を経由して岡崎へと抜ける鉄道の計画は古くからあり、鉄道敷設に先駆けてバスが通されたのが1930年、昭和5年のことでした。これが「省営バス(のちの国鉄バス)岡多線」で、日本初の国営バス路線でした。

その計画は「国鉄岡多線」となり、さらにもうひとつ「国鉄瀬戸線」計画もあり、これは瀬戸から高蔵寺を抜けて稲沢へとつながるものでした。岡多線のうちの岡崎-瀬戸間と、瀬戸線のうちの瀬戸-高蔵寺の計画だけが実現して、合体。現在の愛知環状鉄道となっています。

岡多線 とは

1970年、岡崎-北野桝塚の区間が貨物線として開業、1976年になると新豊田まで延伸され国鉄岡多線として旅客営業も始めます。しかしJRとしては廃止となり第三セクターに。1988年1月31日に愛知環状鉄道として岡崎から高蔵寺まで開通。

敷設されなかった岡多線の瀬戸-多治見の開通を見越して、品野に開学した名古屋学院大学は、のちに本拠地を名古屋市内に移転しました。しかしずっと、品野交番前交差点には「品野駅前」という案内看板が残されています。太多線と岡多線で美濃太田から岡崎までつながる未来はやってきませんでした。

みんなの思い出から

瀬戸市内でも、現在の愛環となっている区間の線路は早くから敷かれていて、瀬戸市民は「いつか国鉄が来る」と思っていたのは本当ですね。当初は菱野団地のなかを通り、菱野駅ができる計画もあったといいます。確かに、今では瀬戸市や豊田市のJR路線って意外な感じしますね。

そう。万博をきっかけにJRの車両が「エキスポシャトル」として高蔵寺から愛環の区間に入ってきたときは衝撃でしたね。新豊田から高蔵寺の区間はJRの時代は走っていませんでしたものね。愛環は今では黒字の優等生ですが、収益としてはピークを越え下り坂にはなってしまっているようです。

そんなこともありましたね

今となっては「おかたせん」という言葉を耳にすることはありませんから、岡崎と豊田だと「岡豊線」とか「豊岡線」みたいなイメージになりますよね。そうですね。東海環状自動車道がある意味代わりに実現した路線ともいえますかね。多治見を通っていないにもかかわらず「土岐南多治見IC」と名付けさせた多治見市のパワーは強い。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・岡崎と多治見を結ぶ岡多線
・分岐して瀬戸線となる計画だった
・国鉄時代は3両編成だったような
・どうやってラッシュをさばいていたのか
・使用車両は70系→113系→165系
・「岡多・瀬戸線問題」と存廃問題が報じられた
・城北線もあわせて外環状線・中央西線のバイパスに
・瀬戸市から多治見は鉄道は実現せず
・先行してバス路線があった(国鉄バス初の路線)
・国鉄バスは昭和50年代半ばまで車掌が切符販売 扉は手動
・当初は貨物輸送に軸を置いた外環状線
・南方貨物線とも接続する計画
・豊田市にJRが走っていたというのは今思うと意外
・国鉄時代の新豊田駅は小さくて古かった
・当時高校の放送部で映像を撮影して作った
・名鉄本線の車窓から見えた中岡崎駅が懐かしい
・瀬戸市民「いつか国鉄が来る」
・第三セクターの愛知環状鉄道に
・愛知環状鉄道になる際に小中学生に車両デザインの募集があった
・中3のときに同級生が応募したデザインが採用された
・愛環にJRの車両が乗り入れ「エキスポシャトル」
・愛環の初代100系は改造され福井のえちぜん鉄道へ
・新豊田駅 三河豊田駅 豊田市駅 どれがどこだか
・愛環は「濃い緑色の電車」
・2019年からICカードで乗車できるように
・あさシャトル ゆうシャトル

楽しい不正解

・岡高線(多数)
・豊岡線
・高岡線
・岡豊線
・豊崎線
・岡田線
・豊田線
・名鉄挙母線(複数)
・愛知環状線
・博多南線
・瀬戸小橋線
・愛知縦断線
・愛知棒状鉄道
・東海環状自動車道
・愛知環状じゃない鉄道
・岡田!!おかだ出てこい
・大学がある地域までもうすぐだよ線
・なんもせん
・わかりま線
・JR通りま線

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