かつて市バスの基幹バスにつけられていた愛称とは?

Q.1982年(昭和57年)から運行が始まった「基幹バス」かつて市バスの基幹バスにつけられていた愛称とはなんだったでしょう??

正解は…

「ミッキー」でした!

解説

出題のねらい

右折車線よりも右に直進車線があるなどと、最近ではネタ画像として注目されることの多い「基幹バス」ですが、かつてはもっとネタにされそうな愛称がつけられていたんですよね。とはいえ、それ自体であれば何もつっこまれる筋合いはないものだったのですが…。

愛称が「ミッキー」だっただけならまだしも、1980年代はまだ遊び心があったといいますか、おおらかだったと言いますか、確かにあの頃は、基幹バスの車両の中に、ミッキーマウスのぬいぐるみがぶら下げてあったものも、ありましたね…。

基幹バス・ミッキー とは

基幹バスとして最初に運行を開始されたのは、1982年の「東郊線」なのですが、こちらは中央走行というわけではありませんでした。まるで路面電車のように道路の中央を走る基幹バスが登場したのは、1985年。新出来町線でした。栄の先から引山までが中央走行区間となりました。

市バスと名鉄バスの両方が運行されましたが、市バスのみに「ミッキー」という愛称がつけられました。「基幹」の「幹」からで公募でした。しかし2007年をもってその愛称の掲示は終了。事実上の廃止となっています。当時、全国・海外から視察が多く訪れ、この中央走行形式の基幹バスは、台北などでも採用されていますね。

みんなの思い出から

確かに「ミッキー」と聞くと、あちらを思い浮かべてしまって心配してしまう…というのは今の感覚ですね。当時はそこまで感じませんでした。ただ、あの基幹バスのことを「ミッキーに乗ろう」といった具合に呼んでいた人は、確かに見かけませんでしたね。

今でこそ地下鉄が通っていますが、出来町通(瀬港線)は鉄道路線から外れていて、バスで栄に出るのが主要な交通手段ではありましたが、渋滞がすごかったですものね。基幹バスの名鉄バスによって、引山ひいてはその先の四軒家、瀬戸、菱野団地、赤津までもが便利になりました。ただ、市外に出た瞬間、運賃表は爆上がりしましたが。

そんなこともありましたね

そうですね。こちらも愛称ではありますが「ゆとりーとライン」や「メーグル」は愛称としてしっかり定着していますよね。対照的です。名古屋市交通局のキャラクター「ハッチー」も確かに「ミッキー」と語感は似ていますね。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・ハハッ(多数)
・運行開始当初は車内にミッキーマウスのぬいぐるみがぶらさげてあった(複数)
・車体の前面に「ミッキー」と書いてあった(複数)
・いろいろ心配になった
・基幹→幹→ミッキー
・公募だったらしい
・夢のある名前だった
・中央を走る基幹バスは初見にはつらい
・その名前で呼んでた人いますかね?
・基幹バスのおかげで凄く便利に
・栄→星崎(後に鳴尾車庫まで延伸)基幹1号
・1系統は前乗りなのに 2系統は中乗り
・「歩行者信号は、赤です。横断はやめてください」
・英語では「Key Route Bus」
・市電に比べるとコストが高い?
・三菱ふそう製バスのボディB35-X2型の愛称は「ブルドッグ」
・行燈表示がなつかしい
・「たこぶえ」というお菓子を思い出した
・バス停にナゾの蜂のキャラクターがいる

楽しい不正解

・きかんバストーマス
・ユリカが効かんバス
・言うこと聞かんバス
・ゆとりーとライン
・さかえライナー
・名鉄バス バドワイザー号
・グリーンライナー
・パノラマカー
・ハッチー
・メーグル
・ネズミー
・ドナルド
・ミッキーカーチス
・ミッキー吉野
・ミッフィー
・ミキティー!
・ベッキー
・ハイマッキー
・桑原幹根 元知事
・鯱バス
・ケン・モッカ
・P-POP STATION
・KATSUYA KOBAYASHI
・東幹久
・マイちゃんアミちゃん
・E電
・くるりんバス
・すとりーとライン
・くじら12号
・アズールレーン
・乗りにくいズラ

思い出アルバム

関連情報

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