愛知万博(愛・地球博)は当初どこの何という森で開催される開催される予定だった?

Q.愛知万博(愛・地球博)は、計画当初、違う場所にメイン会場を建設する予定でした「『?』市『?』の森」だった??

※加えて跡地はどうなる予定だった?

正解は…

「瀬戸市・海上(かいしょ)の森」でした!

跡地は「学術研究機関」と「住宅団地」となる予定でした。

解説

出題のねらい

藤井聡太新棋聖誕生で、瀬戸市がいま盛り上がっていますよね。そんな瀬戸市がかつて、同じように脚光を浴びていた時期がありました。それは「愛知万博」の「誘致」です。誘致段階では、瀬戸市をメイン会場に、大規模開発を伴った万博を開催する予定でした。

その場所は、瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」。しかし誘致の頃と時代背景がらっと変わり、万博は産業の万博から環境の万博へ。既存の公園を活用することとなり、メイン会場はおとなり長久手町の愛知青少年公園に変更され、瀬戸市にはミニサイズの「愛・地球博 瀬戸会場」が作られたのでした。

海上の森での愛知万博計画 とは

当初の計画では、愛知万博の会場はすべて瀬戸市の海上の森。会場跡地は「学術研究機関」と「住宅団地」になる予定でした。さらには瀬戸市全体を環状に走る高架道路の建設、それにつながる高速道路と、駅前にはホテルを備えた駅ビル…そんな計画がありました。

開発か自然か。瀬戸市の世論はまっぷたつ。当時、開発側にまわったか、森を守る派にまわったかという遺恨はずっと市民の奥底にあり続けてきた、そんな気がします。モリゾー、キッコロは今、瀬戸市に住民票を置いています。開催から15年。藤井聡太さんのおかげで、ようやく市民が再びひとつになったのかもしれません。

みんなの思い出から

瀬戸になじみがある人は読めますが、確かに「海上」と書いて「かいしょ」は難読ですよね。そうですね。象徴としては「オオタカの巣」が見つかったことではありましたが、博覧会国際事務局(BIE)から突き付けられていたことでもありましたね。

さすが地元で話題になっただけあって、仕事や研究、また学生時代に調査や散策に訪れたという方も多いですね。瀬戸がメイン会場にならなかったとはいえ、瀬戸は万博に合わせて街の風景は変わりましたね。記念橋のバスの駅が無くなったのは確かに象徴的でしたね。

そんなこともありましたね

そういえば「森」と名のつくものって「あつたの森」「ノリタケの森」「小牧市民四季の森」とありますね。あとはジブリのイメージ。そうそう、その愛・地球博の跡地がジブリの森になるわけですからね。ちなみに、瀬戸会場の跡地も「愛・パーク」という公園になっていて、瀬戸市の誘致活動の足跡を見ることができますよ。涙無くしては見られません。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・住宅地にするという話だった
・海上で「かいしょ」は難読
・オオタカの巣がみつかった
・BIEから環境テーマなのに宅地造成?と突っ込まれた
・会場計画が青少年公園に変更された
・環境万博としては結果良かったと思う
・近くに古墳群がある
・海上の森で開催されていたら青少年公園はそのままだった?
・あなたの土曜日・真季子とともに
・事前調査で行った
・森なのに海上という名前なのはなぜ?
・中学生の部活動で野外散策に行った
・池がとても綺麗
・生物部だったので生態調査したかった
・冷凍マンモスを見た記憶しかありません
・瀬戸会場からのロープウェイは窓が曇った
・瀬戸記念橋のバスの駅が無くなったのが残念
・内覧会に行きました
・全期間券買って大阪から10回以上行った
・モリゾーの目つきが悪い
・無許可のメガソーラー
・藤井君の快挙に合わせての設問ですか?

楽しい不正解

・瀬戸グランドキャニオン
・瀬戸内市 カメラの森
・名古屋市 ノリタケの森 跡地は皿に
・跡地は木梨ノリタケvsナラザキのPK王は俺だスタジアム
・名古屋市 大森
・座頭市 ノリタケの森
・跡地は瀬戸焼パーク
・佐武と市 石の森 跡地はトキワ荘
・コーチの近藤真市 監督の森
・名古屋市 八事霊園の森
・流山 おおたかの森
・電事連市 わんさかの森
・宮崎駿氏 ジブリの森
・トトロ市 さつきとメイの森
・小牧市 市民四季の森
・瀬戸市 ノルウェイの森
・名古屋市 あつたの森
・あつまれどうぶつの森(多数)

思い出アルバム

関連情報

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