「名古屋まつり」にあわせて市交通局が運行していたのものは?

Q.秋に行われる「名古屋まつり」にあわせて名古屋市交通局が運行していたのものは何だった??

正解は…

「花電車・花バス」でした!

解説

出題のねらい

「お祭り」とは神社やお寺の祭礼などを指すものですが、そうではない「商業イベント」として1955年(昭和30年)にはじまったのが「名古屋まつり」です。愛知県が生んだ三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に扮した地元名士がパレードをする「郷土英傑行列」が一番の見せ場となっています。

商業イベントとしてスタートしたことを象徴しているのが、そのパレードを4つのデパートが担当していることです。織田信長隊は名古屋三越(旧オリエンタル中村百貨店)、豊臣秀吉隊は丸栄、徳川家康隊は松坂屋、そして名鉄百貨店が鼓笛隊を担ってきました。

名古屋まつり とは

三英傑が着る衣装や、運営費用を各デパートが出し、山車に乗る姫役・三姫もそれぞれのデパートの従業員たちが務めてきました。しかし、丸栄は2018年(平成30年)の6月末で閉店。この年から豊臣秀吉隊はジェイアール名古屋タカシマヤが担当することに。

高島屋は2000年(平成12年)3月にオープンした「新参」でしたが、この郷土英傑行列をもって、名実ともに地元百貨店の仲間入りを果たしたという見方もあります。昭和末期の自粛ムードにあった1988年(昭和63年)と、新型コロナの影響で2020年(令和2年)も中止になっています。

みんなの思い出から

そんな名古屋まつりに合わせてかつて運行されたのが「花電車・花バス」でした。第1回が開催された当時は名古屋市内を市電が走っており「花電車」が運行されました。中日新聞に運行予定が掲載され、市電の全面廃止を翌年春に控えた1973年(昭和48年)の第19回まで運行されました。

並行して、1966年(昭和41年)から「花バス」が登場。専用車両としてカットされた車体「オープンバス」もあり、このおまつりのために用意されていたものでした。通常のバスも装飾され、大変にぎやかだったのですが、スポンサーの減少とともに運行台数が減り、2005年(平成17年)をもって花バスの運行は終了しました。

そんなこともありましたね

名古屋まつりの花バス用にカットされた車体は、普段の営業に使用できない一方で、中日ドラゴンズの優勝パレードでは選手を乗せて走行していました。スポンサーの問題だけでなく、排ガス規制などもあり昔からの花バス仕様車を走らせにくくなったのでは?という声も。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・花電車を高辻-鶴舞間の母の実家で毎年見た
・花電車が名城病院から南の外堀通りを行くのを見た
・子どもながらに派手と思った
・「チンチン電車、花電車」って歌った
・浄心車庫の花電車の前で写真を撮ってもらった
・子ども心に綺麗だった記憶がよみがえってきた
・まつりが近くなると近所の花バスを友達と追いかけた
・花バスが家の近く通ると見てました
・オープンバス
・専用車両として車体がカットされていた
・営業用には使えない仕様
・花バスは名古屋市の端っこまで回っていた
・エレクトリカルパレード顔負け
・中日新聞に運行情報が載っていた
・親にわざわざ夜に連れていってもらって見た
・最後の年 ゆとりーとラインの高架下を走るのを見た
・花バス仕様車は中日ドラゴンズの優勝パレードで選手も乗車
・花バスは名城公園の側の車庫に保管されていた
・花電車は豊橋のおまつりでも
・排ガス規制と車体構造から後継車両が…
・スポンサーの問題も
・花バスは2005年が最後だった

楽しい不正解

・デコバス
・花電車が名城線をぐるぐる
・花地下鉄
・郷土英傑臨時特別列車運行(地下鉄)
・三英傑
・金のトゥクトゥク
・金のタクシー
・金鯱デコトラ
・金鯱号
・市電を模したラッピングバス
・ピーチライナー
・銀映ラッピング花電車
・織田信長の馬
・はとバスツアー(複数)
・駕籠
・ネコバス
・パノラマカー
・おでん電車
・ハナ肇さん
・電飾船
・トロリーバス
・ねぶた
・3扉バス
・758系統バス
・あずさ2号

コメント

花バス最後の年は市内を巡回していた記憶。

思い出アルバム

関連情報

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