田中律子さんがCMをしていた携帯電話会社 なんという会社だったでしょう?

Q.田中律子さんがCMをしていた携帯電話会社 親切なサービス 信頼のネットワーク なんという会社だったでしょう??

正解は…

「ツーカーセルラー東海」でした!

解説

出題のねらい

現在も「沖縄セルラー電話」だけが名残として存在し続けていますが、かつて携帯電話のキャリアは地域ごとに別会社となっていました。東海地区には4社存在しました。「NTTドコモ東海」「IDO」「東海デジタルホン」「ツーカーセルラー東海」です。

1993年(平成7年)に携帯電話はデジタル化され、「2G(第2世代移動通信システム)」の運用が開始されます。携帯電話会社には5つのグループが存在したのですが、東名阪は4社、それ以外は3社と、地域によって携帯電話会社の数に決まりがあったために、一部ではグループが手を組むカタチとなりました。

ツーカーセルラー東海とは

5つのグループとは…

  • NTTドコモグループ
  • 日本移動通信
  • DDIセルラーグループ
  • デジタルホングループ
  • ツーカーグループ

です。

さらに歴史を遡ります。まだ携帯電話がアナログだった頃は全国統一でそれぞれの地域で2社という体制でした。NTTドコモグループは単独で全国をカバー。一方、もう一つの会社は関東甲信越と東海は「日本移動通信(IDO)」、それ以外の地域は「DDIセルラーグループ(セルラー電話)」でした。

デジタル化された際、その2社は引き続きそれぞれの地域で存在し続けました。ですので、東海地区は「NTTドコモ東海」と「IDO」が続投、そこに「デジタルホングループ」と「ツーカーグループ」「DDIセルラーグループ」が新たに参入してくるわけですが…。

みんなの思い出から

東海地区にあった携帯電話会社の枠は4つです。ドコモ東海とIDOは既にあるわけですから、残る2つの枠をめぐって3社が参入することとなり、デジタルホンはそのまま参入。一方で「ツーカーグループ」と「DDIセルラーグループ」は合弁で「ツーカーセルラー東海」を設立して参入するのです。

そのツーカーセルラー東海の初代イメージキャラクターを務めたのが田中律子さんでした。「ツーカー律子」「ツーカー律子♪」「え?田中律子じゃないの?」「ツーカーなんだ!」と、ツーカーを前面に押し出したCMで、キャッチコピーは「親切なサービス 信頼のネットワーク」でした。

そんなこともありましたね

一方の東海デジタルホンは、鈴木杏樹さんが「東海デジタルホン、ホンホン♪」と歌うCMでしたね。当時はそれぞれの地域によってCMに出ていたタレントさんも違っており、今となっては特に印象的なのが、NTTドコモ東海が上戸彩さんだったことですね。

いただいた解答&感想

みんなの思い出

・ツーカー律子 ツーカー律子
・最初に買ったケータイはここのだった
・使っていた
・au(KDDI)に吸収された
・ユーザーにお金を使わせたくないという方針
・惜しい会社だった
・ローミング「Rm」を思い出す
・通話だけなのに基本料が月5,000円超えていた時代
・浜崎あゆみさんのイメージ
・松本人志さんだった時期も
・あけおめメールが他のキャリアより確実に送信できた
・サンクス(コンビニ)バージョンの機種があった
・今も「TU-KA SHOP」の残骸を見かけることがある
・関西は「ツーカー」と「セルラー」が別会社なので違和感あった
・東名阪以外は「ツーカー」と「デジタルホン」が合弁
・1.5GHz帯

楽しい不正解

・常盤貴子さんのIDO日本移動通信(多数)
・鈴木杏樹さんの東海デジタルホン(多数)
・NTT DoCoMo東海
・中部テレメッセージ
・DDIポケット
・アステル中部
・中部テレコミュニケーション
・デジタルツーカー東北
・ITO(糸)電話
・「山」といえば「川」
・東海バンクモバイルダイエー金山店
・ツーツーレロレロ
・なんつーか ホンTU-KA
・楽天モバイル
・アルペン
・目撃ぃ…ドキュン!

コメント

・鈴木杏樹しか思い出せん・
・アーバンライナーで名古屋へ遊びに行く時は赤目口あたりでRm表示

思い出アルバム

関連情報

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