雲竜フレックスビルから生放送をしていた中京テレビの深夜番組といえば?

Q.シリーズとしては1988年から1995年まで 中京テレビの深夜 雲竜フレックスビルから長時間生放送していた番組といえば??

正解は…

「ラジオDEごめん」でした!

解説

出題のねらい

快進撃を続ける今からすると信じられないかもしれませんが、かつて中京テレビは都会じゃない郊外の丘の上にあって、見るためには専用アンテナを立てる必要のある後発テレビ局で、東海3県を放送エリアとする4つのテレビ局(東海テレビ・CBCテレビ・名古屋テレビ・中京テレビ)のなかで断トツにマイナーな存在でした。

開局当時は、キー局も広告代理店も中京テレビを格下に見ていて、人気の無い番組しか放送できない状況が続きました。そのため、中京テレビは「自前で人気番組を作るしかない!」と奮起、人気ローカル番組を次々と開発し、その精神は今に繋がっています。

ラジオDEごめん とは

しかし、メジャーなテレビ局に比べて当時はお金がありません。そこで昭和末期に誕生したのが、ラジオの深夜放送をテレビでやってしまおうという「ラジオDEごめん」です。1988年(昭和63年)の秋にスタート。なんと平日深夜に月曜から金曜の帯で、毎日1時間半もの生放送をするという、名古屋では前代未聞のスタイルでした。

先述のとおり、中京テレビは郊外の丘の上にありました。そこにタレントさんを深夜に呼ぶのは大変です。さらにスタジオ運営にも多額の費用がかかります。そこで、番組は新栄の雲竜フレックスビルにあった焼肉店「IMANAS亭FLEX店」からカメラ1台という形式で放送されたのです。

みんなの思い出から

お笑い芸人やミュージシャン、地元タレントが曜日ごとに日替わりで登場し、視聴者からのハガキやFAXで番組を展開。ただラジオスタイルといっても実際にはラジオとは差別化をし、映像を使ったコーナーもたくさんありました。なぜか1966年(昭和41年)に制作された特撮ドラマ「怪獣ブースカ」が番組のイメージキャラクターでした。

その後、湾岸戦争によるる省エネルギー対策としてテレビは深夜放送の短縮を求められ、帯番組としては2年半で終了。しかし金曜日だけが残される形で番組は継続。「ラジゴメII金曜日の王様」「ラジごめIIIホンジャマカ共和国」として1995年(平成7年)春まで続きました。

そんなこともありましたね

嘉門タツオ(当時・達夫)さんの替え歌の原点ここにあり!という感じですよね。麻原彰晃氏がゲスト出演した回ありましたね…。深夜の閉店後の焼肉店から放送するという名古屋ローカルの番組にやってきていたというのは衝撃です。のちにニュース番組の資料映像として使われることとなったのは言うまでもありませんね。

いただいた解答&感想

シリーズ

・ラジごめII金曜日の王様
・ラジごめIIIホンジャマカ共和国

みんなの思い出

・番組キャラは快獣ブースカ
・通称「ラジごめ」
・「地味&派手」
・電話で出演した
・番組通貨「エーネン」
・カメラ1台
・焼肉屋さんでやっていた
・IMANAS亭
・テレビ版オールナイトニッポン
・ハガキ職人として常連で生放送を見学した
・カツオ風味のふんどし
・パコパコスイッチングゲーム!
・ワールド動物レース!
・伝言じゃんけん
・寝落ちして気が付くと男2人のダンス(南蛮渡来)
・谷山浩子さんの「夜のブランコ」
・「番宣deごめん」としてのちに復活

覚えている出演者(敬称略ごめんなさい)

・嘉門タツオ(当時 達夫)
・原田さとみ
・久本雅美
・みうらじゅん
・ローリー寺西
・レピッシュのMAGUMI
・東野幸治
・今田耕司
・おかまのKENちゃん
・麻原彰晃(ゲスト)
・兵藤ゆき(ゲスト)
・河原龍夫
・宮地佑紀生
・金子恵実
・草地章江
・ホンジャマカ

楽しい不正解

・ミッドナイトギグ
・電波将軍・電波騎士
・圭修のうしみつ天国!
・毎回ボケDEごめん
・オールナイト11PM
・お笑いマンガ道場
・ろみひー
・Let’s ドン・キホーテ
・オジャマンないと!
・ミッドナイトウェザー
・きくち教児のズームイン!未明!!
・ズームイン真夜中
・キャイ~ンのギャロンパ
・MUSIC RA-TE
・ラジオdeゴメス
・おぼんdeごはん
・突撃隣の朝飯
・どっきんやばいばる
・星空ワイド今夜もシャララ
・なにわ友あれ赤井英和!
・おとなのえほん
・前略、大とくさん
・エンドレスナイト
・旅してゴメン
・アナアナ商会
・正解るんです
・テレビdeラジオ ヨロシク!DJ

コメント

ふふふ、投稿してよく嘉門達夫に読まれてた。何えーねんか、貯まってたなぁ。

この番組で嘉門さんから御中という言葉の意味を教わった

テレビ番組なのに、ラジオの番組テイストな構成でした。ワハハ本舗の久本さん、この番組で初めて知りました。

何回かハガキが採用されたことありまだノベルティグッズは大切に保管しています。

ちょうど久本雅美がアサヒドーカメラのCMで、柴田理恵と梅垣義明と共演まだメジャーになる前。

最終回で宇宙に旅立ったブースカが(円谷がやらないので)約束通り帰って来たという設定で始まったのでOP。未だに菅野よう子さんといえばこの番組のイメージ。嘉門さん単独になってからは投稿からヒット曲の数々が。替え歌って印税入らないんですよね。

思い出アルバム

関連情報

あのころナゴヤ 管理人

このサイトは「あのころ」、主に平成・たまに昭和の名古屋圏、名古屋を中心とした愛知・三重・岐阜の東海3県の話題をお届けするサイトです。この企画をきっかけにテレビ番組が誕生しシリーズで放送されました。番組の立ち上げからスタッフとして参加、出題や出演者キャスティング、演出などにもかかわりました。

あのころナゴヤ 管理人をフォローする
クイズQ.放送番組
スポンサーリンク
あのころナゴヤ 管理人をフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました