昭和の頃のNHK名古屋
この写真は、名鉄瀬戸線・栄町駅「2出入口」の前から北東方向を見て撮影したものです。今はこの場所から写真を撮ると、オアシス21が映るわけですが、まるで学校の校舎のようなNHKが見えますね。
撮影したのは、1988(S63)年5月のこと。当時はオアシス21の場所にNHK名古屋放送センターがあったんですね。そして右に映っているのは愛知県文化講堂ですね。
オアシス21のスペースをどう確保したのか
今やすっかり栄のシンボルとなったオアシス21ですが、オープンしたのは愛・地球博を控えた2002(H14)年のことでした。都心のまんなかにあれだけの規模の都市公園を21世紀になってから作っているわけです。
そこでふと思うのが、あの場所はもともと何だったのかということです。名古屋テレビ塔・久屋大通公園を中心とした栄地区は、戦後の復興期に整備され、防火のために道路が横幅100メートルとなっています。
道路自体の幅が100メートルあり、その中央が公園になっているにもかかわらず、さらにその横に公園というのも考えてみれば余剰な公園な気がするのですが、それ以前にあれだけのスペースをどうやって確保したのか。
既存施設と既存公園を入れ替えた!
実は交換されているんですね。
オアシス21の場所にはかつて、NHK名古屋放送会館と、愛知県文化講堂を含む愛知県文化会館がありました。そう、今はNHK名古屋放送センタービルとなって少し東に引っ込んでいて、さらに並ぶように愛知県芸術文化センターがありますよね。
その、今のNHKと芸文センターの場所に「栄公園」という公園があったのです。その栄公園に栄のバスターミナルを集約し、それと一体化した都市公園とする計画が浮上し、公園とNHK・文化会館の場所を入れ替える壮大なプロジェクトとなったのです。
計画自体はとてもバブルでダイナミック
NHK名古屋放送センタービルは、まさにこの写真の年、1988(S63)年に着工し、1991(H3)年に完成。22階建て。NHKが民間企業と共同で放送会館を建設したのは史上初のことでした。
一方で、愛知県芸術文化センターはその翌年、1992(H4)年に開館。まさにバブル絶頂期に整備されたのがこのNHK名古屋と芸文センターだったのです。しかし、オアシス21のオープンはそれから10年もあとのこと。
オアシス21の予定地は、それまで劇団四季、東海地区初となる専用劇場「名古屋ミュージカル劇場」が期間限定で設置されるなど、イベントスペースとして利用されていましたね。
このような経緯で、既存施設と公園を「交換」するという大規模な再開発が栄の一等地で実現したわけですね。まさにバブルパワーを感じます。
オアシス21の完成は完全にバブル崩壊後
ただ、時期的にオアシス21の建設自体は、バブル崩壊後となったため、地下に大規模なバスターミナルを作る構想は無くなり、半地下となって、結局、栄のバスターミナルを集約させることはできませんでした。
ようやく、2019(R元)になってオアシス21周辺にバスターミナルを集約させるという動きになりましたね。ただこれは積極的な集約ではなく、久屋大通公園の旧バスターミナル跡地の再開発が先のような気がしますが。
栄にとって、中日ビルやテレビ塔、デパートに比べ、「新しい存在」であったオアシス21も、栄がさらに再開発される今「以前からある存在」にイメージが転換する時期がやってきましたね。
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